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執筆者の写真しょうゆ太郎

家業を継いで四半世紀を振り返る!

1995年3月1日 サラリーマンとして横浜で生活していた私は家業を継ぐために対馬に帰ってきました。

当時の対馬の人口は43,000人 それから26年経った今では人口30,000人を割り込んでいます。

先代(3代目)から 対馬の人口はこれからますます減る。本土からは安売りの醤油がどんどん入ってきて価格競争が始まっている。食生活も変わり醤油を使うことも減ってきている。最盛期には対馬にも十数軒の醤油屋があったが今では2軒(平成7年当時)しか残っていない。・・・・・ 明るくない醤油屋の未来を延々と聞かされたのを思い出す。


26年間で人口3割減!

これが対馬の現実です。

2035年には 人口20,000人という将来人口予測も出ています。

あと14年後か! 


お客様が減り続けるという将来を見据えながら 今を戦わなければならない。対馬の人口が少なくなったから すべての商売が成り立たなくなるというのは 言い訳でしかない。

昔は 本土に商品を送ることもなかなかできなかった。今は宅配便があり 関西圏までなら翌日には商品をお届けすることができる。海外にだって商品を送ることもできる。情報だってそうだ。SNSでリアルタイムに世界中の人々はつながることはできる。


少子高齢過疎の島は なにもハンデではない時代なのだ。むしろメリットと魅力に包まれた島だと思う。



25年前は 1升瓶で醤油を売っていた。今では1升瓶ではなく すべてPETボトルで販売している。うすくち醤油、こいくち醤油という基本の醤油の売上こそ落ちているが、ごまだれ、ゆずだれなどのドレッシングや生姜醤油、さしみ醤油など 醤油加工品の売り上げが伸びている。また最近でな「焦がし醤油プリン」も人気で多くの旅行客に人気だ。





これから10年後 対馬はどう変わっていくのだろうか?


そして対馬醤油はどう進化していくのだろうか?


一日一日を大切にし、目の前の人や目の前の事に真剣に向き合いながら 日々ワクワクしながら過ごしていきます。

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